茶道と和菓子の関係の歴史

  • TOP
  • [カテゴリー: コラム]
  • 茶道と和菓子の関係の歴史

美味しいもなか・和菓子の通販なら

今では茶と和菓子を合わせて嗜むことが一般的になりましたが、かつては茶や和菓子の組み合わせは確立されておらず、菓子も果物や木の実、餅などが主でした。時代に沿って姿かたちを変化させてきた茶道と和菓子についてご紹介します。

平安後期~鎌倉時代

大陸との交流が行われていた奈良~平安時代では、米や麦、大豆、小豆をこねたものや油で揚げたものなど、遣唐使によって様々な唐菓子が伝えられました。それとほぼ同時期の鎌倉初期、栄西禅師によって喫茶の習慣が定着するようになったことで、茶の湯が流行したと言われています。

当時は肉や野菜を詰めた「点心」と呼ばれる饅頭が簡単なおやつとされ、蒸し物を見立てた羹(あつもの)が、蒸し菓子の起因になりました。これらは後に、小豆餡を入れた饅頭に変化していく和菓子でもあります。

室町~安土・桃山時代

喫茶をきっかけに茶の習わしが貴族や武士の間に広まると、室町時代には武家社会を中心に「茶の湯」が発達していきます。それまでは遊興だった「派手で騒がしい」茶寄合でしたが、「静かで落ち着きある」茶の湯へと少しずつ変化していったのです。

また、当時はポルトガルやスペインとの南蛮貿易も盛んで、カステラや金平糖などの南蛮菓子が渡来していたこともあり、砂糖の輸入量も増え一般に使用されるようになりました。それにより、庶民も菓子の甘味として砂糖を用いることが一般化していきます。

江戸時代

江戸時代に入ると、武士だけでなく町人の間にも茶道が流行し、江戸中期には多くの流派が生まれたと言われています。茶道に伴って和菓子も確立していき、蒸し菓子や干菓子、もなかなどの菓子の製法が記された「古今新製菓子大全」が刊行されています。

また、菓子づくりも京都の京菓子と江戸の上菓子が競い合うことで、個性や独創性が飛躍的に発展していったとも伝わっています。さらに江戸後期にさとうきびの栽培が始まると製糖も盛んになり、黒砂糖を加えた「雑菓子」なども広まっていきます。

明治以降の茶道・和菓子の発展

明治時代に入ると文明が開化し、女学校教育の一環として茶道が取り入れられるようになります。かつては武士や男性に親しまれた茶道ですが、この時代をきっかけに女性の間で広がり、茶道の発展や普及に大きく関わっていくことになります。

また、西洋文化が国内に急速に伝わり、バターやミルクを中心とした西洋菓子も日本に入ってきました。それまで国内では饅頭や羊羹などが親しまれていましたが、明治以降はケーキなどの洋菓子も増え、区別するために「和菓子」と称されるようになったそうです。

茶道は日本文化には欠かせない伝統の一つであり、和菓子の世界もビタミンやミネラルなどの栄養素を加えたもの、低カロリーをうたったものなどと多様化し、老若男女問わず愛されています。和洋菓子が混合している現代、それぞれの菓子の味と茶の組み合わせを楽しんでみませんか。

 

美味しい和菓子のもなかの通販なら「木元製菓舗」

店舗名 木元製菓舗
所在地 〒529-0354 滋賀県長浜市湖北町山本1135
TEL 0749-79-0020
MAIL info@kimotoseikaho.jp
営業時間 9:00~18:00
定休日 不定休
説明 美味しい和菓子を通販でお届けする木元製菓舗です。どんべ金もなかや金豆タルトなどの和菓子はギフトにもおすすめです。通販で美味しい和菓子をお探しなら木元製菓舗をご利用ください。

コメントを残す

 

店舗のご案内

店舗のご案内
TEL / FAX 0749-79-0020

〒529-0354 滋賀県長浜市湖北町山本1135
<営業時間> 9:00~18:00 <定休日> 不定休

冠婚葬祭などのお菓子などもご要望いただければご対応いたします。
ただし、ひとつひとつ手作りの為大量製造は出来かねますので事前にご相談・ご予約お願いいたします。

メールでのお問い合わせはこちらから